背中のトゲ - 南仏人の父が教えてくれた寓話 -
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皆さん、ご無沙汰しています。
ありがたいことに出店続きで慌ただしい日々でしたが、ようやく一息。
「じゃあ何をしようか」と考えたとき、ふと“自分の原点”に立ち返りたくなったのです。
そこで思い出したのが、子どもの頃に何度も繰り返し観たフランスのアニメ『キリクと魔女』。

Kirikou and the Sorceress | WIKIPEDIA
オレンジや黄土色、深い緑。南仏の乾いた大地のような色彩に、太鼓の響きと不思議な歌声。
そして「小さくても勇敢であれる」という物語。
当時フランスでは、ディズニー全盛期の中に登場した異色作として話題になり、大人にも子どもにも愛されました。
日本でも映画祭で紹介され、“子どもにも大人にも二重に響く寓話”と評価された作品です。
正直、ドラえもん級の国民的ヒットではありませんが、知る人ぞ知る一本でした。
父がくれた一本のテープ

「キリクと魔女」上映会 | TAMA映画フォーラム実行委員会
私にとっての入口は、南仏出身の父が差し込んだ一本のビデオテープ。
再生ボタンを押した瞬間、見たことのない大地の色合いと音楽が、狭い子ども部屋を一気に異世界へ変えてしまいました。
魔女が登場しても、「怖い」より「美しい」「不思議」。
あの頃の私はただ夢中で、物語に吸い込まれていきました。
子どもが観た「勇気の物語」

Kirikou and the Sorceress | BAMPFA
キリクは小さくても勇敢。
魔女カラバがなぜ意地悪なのかを探るために冒険に出ます。
子どもの頃の私は、この物語を「勇気があれば仲良くなれる!」という単純な冒険譚として受け止めていました。
……でも同時に、「この魔女、なんだか孤独そうだな」とも感じていて。
今思えば、小学生にしては渋い感想を持っていたものです。
背中のトゲが語るもの

物語の核心は、やはりカラバの背中に刺さった“呪いのトゲ”。
彼女はそれを隠し、弱さを見せることを恐れ、痛みを力に変えて人を遠ざけます。
終盤、キリクがそのトゲを抜いた瞬間、カラバは想像を絶する痛みに絶叫します。
その叫びは「悪の滅び」ではなく、長年の苦しみから解放される声。
そして訪れる静けさは、人間の複雑さそのものを映していました。
善悪を超える物語

Kirikou and the Sorceress | TimeOut
普通なら魔女は倒されて終わりですが、この物語では違います。
カラバは“傷を抱えた存在”として描かれ、キリクは彼女を理解し、癒す。
子どもにとっては「勇気の物語」。
大人にとっては「人間の複雑さ」を映す物語。
どちらの視点でも成立する二重構造が、この作品の大きな魅力です。
言い切れない美しさ
「大人になる=強くなる」「弱さは隠すべき」という価値観が根強い社会で、この作品は問いかけます。
――言い切れないもの、割り切れないものの中にこそ、美しさがあるのではないか。
善悪を切り分けるより、その奥にある人間性を想像する。
問いを持ちながら曖昧さと共に生きる。
それもまた悪くない、と。
作品そのもののリズム

The Cinematheque Films Film Club | Kirikou and the Sorceress
『キリクと魔女』は寓話的で深いのに、観ているとテンポがよくてサクサク進む。
重たいテーマを扱いながらも、口元が少しニヤけるようなユーモアが作品全体に散りばめられているんです。
シリアスと笑いが自然に同居しているからこそ、大人も子どもも最後まで楽しめる。
実はフランスでは、昔話以上に寓話が大切にされてきました。
『キリクと魔女』もその一つで、「答え」ではなく「問い」を残してくれる物語です。
子どもの目でも大人の目でも成立する二重の構造。
その二つの視点を行き来することこそ、人生を豊かにする問いなのかもしれませんね。
それでは!à bientôt♪