南仏・カマルグの塩「フルール・ド・セル」

「ひとつまみで、もうじゅうぶんだった。」- カマルグの塩田が教える、“足る”という幸せ -


Bonjour!

6月、梅雨が始まりましたね。

湿った空気とともに、食卓の風景も、ちょっとずつ変わってきたように感じます。

傘立てにはまだ乾ききらない傘、冷蔵庫にはトマトが増え、心のなかにも少し湿度が入ってくる季節。

 

そんなある日、キッチンの棚を整理していたら、

ずいぶん奥から、ちょっと懐かしい缶が出てきました。

 

青と赤のパッケージ。「Fleur de sel de Camargue」

ずっとそこにあったのに、最近は見向きもしていなかった。

 

それなのに、その日はなぜか目にとまって、

あ、なんか久しぶり使ってみようかな、と思ったんです。

 

ほんのひとつまみ。

それだけで、料理が完成したような気がしました。

 

トマトの甘さ。

魚のもつ、海の香り。

ズッキーニに染み込んだ、じわっとした野菜の旨み。


どれも、まるで舞台の照明が変わったみたいに、それぞれの持ち味がふわっと立ち上がってきて。

あれ?なんか急に料理上手になった?と、ちょっと得意になったりして。

 

この塩、幼いころから家にあったはずなのに、ちゃんと知ろうとしたことはなかったなと、ふと気になって調べてみました。

 

するとそこには、カマルグという土地の営みと、

その背景にあるフランス人の“足る”という感覚が、息づいていました。

 

 

手を加えない技術


Le fonctionnement d'un salin en Camargue | Le Saunier de Camargue

 

カマルグの塩田では、今も昔も変わらず、

地中海の海水を汲み上げて、太陽と風だけで水分を蒸発させ、塩を結晶させているそうです。

あの南仏の強い日差しと、乾いた北西風——ミストラル。

 

自然のリズムに委ねながら、ゆっくりと、

ゆっくりと水分を蒸発させて塩が育っていく。

 

自然って、すごいなあ。としか言えないけれど、本当にそう思わせてくれる、自然の力。

 

中でも「Fleur de Sel(フルール・ド・セル)」は特別。

 

表面にふわりと浮かぶ、薄い塩膜。

風がまだ吹かない早朝に、職人さんが手ですくい取る。

fleur de sel

Découvrir la fleur de sel de Camargue | Le Saunier de Camargue

 

風が吹くと結晶が崩れてしまうから、機械じゃできない。

だからこそ、タイミングを見極める力と「待つ力」が要る

 

「いつ、どれを、どこまで掬うか」

 

それを決めるのは、職人の目と手の記憶。つまり、人の感覚なんですね。

 

ちなみに同じ塩田では、粗塩(gros sel)が50万トン以上収採れるそう。

重機でざっと掻き出す、大量の塩。

それに比べてフルール・ド・セルは、全体の1%にも満たない副産物。

でも、だからこそ、“手を加えない技術”の価値が光る。

Les salins à Aigues-Mortes.

Les sauniers de Camargue peuvent enfin demander l'IGP européenne pour leur sel et leur fleur de sel | franceinfo:

 

足さず、飾らず、ただそこにあるものをそっと掬い上げる。

 

それだけで、こんなに満ちる感じがするなんて——

南仏の足るを知るという美学を感じました。

 

 

南仏が守る「足りている」という感覚


フランス南部では、こんな言葉が言い継がれてきたそうです。

 

Al que viu pauc, li manca pas res.
(アル・ケ・ヴィウ・ポーク、リ・マンカ・パ・レス)

——「少なく生きる者には、何も欠けない」

 

オック語という、今はほとんど話されない南仏の言葉。

でもラジオや祭りの中に、まだちゃんと残ってるんだとか。

 

塩をふたつまみも使わずに、たったひとつまみで仕上げるその感じは、

この言葉とちゃんと繋がっている気がします。

 

ただ塩味を足したり、機能的なものを加えていくんじゃなくて、

素材の中にもともとあったものを、そっと照らすような。

 

足らないから足すのではなく、足す必要がないからそのままにする。

そんな“引き算の美学”が、日常の選び方にまで染み込んでいるように感じます。

 

レシピに“足しすぎ"ていない?

 

最近、レシピを見るとちょっと疲れることがあります。

 

私たちの暮らしにも、“足すこと”より“足りていること”を美徳としていたはずなのに、

「もっと」と求めてしまっていたのかも。

 

無限にあるレシピから一番を探したり、

目盛り通りにきっちり揃えたり。

すべての調味料をきっちり揃えなきゃ、と思ったり。

 

「足りない」って思ってるから、あれもこれも足したくなって、

それが正しい気もするし、たしかにおいしくはなるんだけど、

——なんか、違う。

 

本当に“味”に満たされてるのか、

それとも“ちゃんと作ったこと”に安心してるのか、

なんだか分からなくなる日があります。


もちろん、そういう日もあっていいと思う。

でもたまには、レシピの「手順」より、自分の舌や手を信じてみる。

そんな日があってもいいのかもしれません。

 

ひとつまみの塩で始めてみよう

もしよかったら、今夜の夜ごはんで、

いつもみたいに調味料に手を伸ばす前に、一回だけ「味見」してみてください。

 

もしかすると、「充分だった」と、

そんな驚きが、心がほどけるような嬉しい日になるかもしれません。

 

そして、気づけばこうなっているかもしれません。

 

加えて満たしていた暮らしから、

加えずに引き出す暮らしへ。

ちょっとずつ。すこしずつ。

それくらいが、ちょうどいいのかもしれません。


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それでは、次回の記事でまたお会いしましょう!

 

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